「コラム」韓流ファンのための「日韓・近現代史」/ 第6回(最終回)共に信頼しあう隣国関係へ

DSCF7590第6回(最終回) 共に信頼しあう隣国関係へ

日韓関係の好転という流れの中で、2002年には日韓共催のFIFAワールドカップ大会が行なわれ、両国は世界的なスポーツイベントを共同で成功させるという大事を成し遂げました。この大会が、両国の草の根的な交流を促進させたことは間違いありません。

 

『冬のソナタ』をNHKが放送

日韓関係が親密になる中で、NHKは海外ドラマの枠で韓国ドラマを放送することに前向きになりました。

その第1作目に選ばれたのが『冬のソナタ』でした。

けれど、NHKとしては、初めて放送する韓国ドラマに不安がありました……果たして、日本の視聴者が好意的に受け止めてくれるかどうか、と。

しかし、心配は杞憂でした。NHK・BSで2003年4月から『冬のソナタ』の放送が始まると、称賛の声がNHKに数多く寄せられました。

それに気を良くしたNHKは、全20話の放送が2003年9月に終わったあと、同年の12月に同じくBSで1日に2話ずつ2週間の集中放送を行ないました。ここでも反響が大きかったのです。

そして、ついに『冬のソナタ』の地上波放送が決定しました。NHKの総合テレビで2004年4月から放送が始まり、これに合わせてペ・ヨンジョンが来日しました。羽田空港には5000人以上のファンがつめかけましたが、熱気に満ちた光景は「壮観!」の一言でした。

 

政治的に日韓関係が悪化

ここから本当の意味での韓流ブームが始まったのです。

この韓流ブームは、文化的に欧米一辺倒だった人たちの目を隣国に向けるきっかけを作りました。

韓流ブームは一過性にすぎないと思った人もいたでしょうが、むしろ一介のブームというより大衆文化の1つのジャンルとして日本社会に定着しました。

韓流は次の段階に進んでいきます。

2004年の秋からNHK・BSで『宮廷女官 チャングムの誓い』が放送されたこともあり、韓国時代劇が日本で人気を集めるようになりました。それにつれて、韓国の歴史に興味を持つ人も増えていったのです。

ドラマから火がついた日本の韓流は音楽の世界にも波及します。

東方神起を起爆剤にして日本でもK-POPが人気となり、韓流のファン層は10代や20代にも広がっていきました。

しかし、日本の韓流に水をさす出来事がありました。

2012年8月に、李明博(イ・ミョンバク)大統領が独島(竹島)に上陸したり、天皇に謝罪を求める発言をしたりしました。

これによって、日韓関係が急速に冷え込みました。

 

日韓国交樹立50周年

2013年2月に就任した朴槿恵(パク・クネ)大統領も歴史問題で日本に強硬な姿勢をとり、政治的にも日韓関係が悪化しました。

日本では「嫌韓」の書籍が数多く出て、販売的にも部数を拡大させました。そんな中で、2015年6月には、日韓国交樹立50周年を迎えました。

多くの記念事業が開催され、日韓の文化交流が着実に進んでいたことをうかがわせました。これも韓流ブームの賜物であったことでしょう。

2015年の年末には日韓で従軍慰安婦問題でも合意し、決まったことを着実に実行することが確認されました。

戦後の日本は、第9条に象徴される平和憲法を守りながら、高度経済成長を達成して発展途上国の開発に寄与してきました。

建国後の韓国は、朝鮮戦争の悲劇と軍事政権の弾圧を経て民主化と経済成長を成し遂げ、大衆文化の面ではアジア各国でブームを生み出しています。

ともに存在感を示す日本と韓国。たとえ政治的にどうなろうとも、民間レベルの交流は活発です。それがとても心強いことです。

 

文=康 熙奉(カン ヒボン)

出典/『宿命の日韓二千年史』(著者/康熙奉〔カン・ヒボン〕 発行/勉誠出版)
コラム提供:ロコレ
http://syukakusha.com/

2016.05.06