【W寄稿】映画プロデューサー李柱益氏の書評=権鎔大さんの著書「わたしはどっち?」



ページターナー(page turner)という言葉がある。一度手に取ればページをめくる手が止まらない本を指す英語の表現だ。主にスリラーやミステリー小説に対して、その圧倒的な娯楽性を称賛する肯定的な文脈で使われるが、敢えて厳しく捉えるならば「深みに欠ける」というニュアンスを含まなくもない。本書<わたしはどっち?>を読了した際、脳裏をよぎった最初の単語がこれであった。一気に読ませるだけの魅力が、頁の至る所に満ちているからである。

しかしながら、本作の本質は、軽い筆致でありながらも、その深層において読み手一人ひとりに自己省察を迫る厳粛なメッセージを宿している点にある。生涯にわたり日韓両国を行き来し、双方を内側から体験した筆者にして初めて到達し得た、至高の洞察である。そしてそれは、日韓両国民に対して根源的な問いを提起する。直接的な議論を戦わせるのではなく、自らの観察と経験を叙述することによって、間接的に問題を浮かび上がらせる手法をとっている。かつて、日本特派員を務めた韓国の記者たちが、帰国後に競うように日本論を出版した時代があった。彼らは快刀乱麻を断つがごとく日本を裁断し、「日本とはこのような国だ」と大上段から説いたが、それらの多くは誤謬に満ち、歪んだ視座や浅薄な認識、ひいては勉強不足に起因する過ちが散見された。そうした著作に失望を重ねてきた私にとって、本書はまさに「旱天の慈雨」とも言うべき存在であった。

本書は、著者が「権鎔大」という稀有な存在であるからこそ成立する。まず、彼は40余年にわたり、数百、数千回も日韓を往復しながら、両国の変遷を同時に生き、見届けてきた。(この境遇は羨望に値するが、畏敬には至らない。なぜなら、彼は生涯を航空会社に奉職し、その旅路の大部分は無償のフライトであったからだ)。このような背景を持つ彼は、驚異的な観察力の持ち主である。日本では在日韓国人として、韓国では在日同胞出身として生きる中で、自ずと周囲を察し、他者を看破し、適応する訓練を重ねざるを得なかったためかもしれない。いずれにせよ、彼の観察眼は極めて鋭い。さらに、天賦の才によるものか、彼は極めて稀なる洞察力を備えている。吸収した情報や知識を分析し、その精神(エートス)を的確に抽出する能力において、右に出る者はいない。そして、それを己の表現へと昇華させる卓越した弁舌と文章力を兼ね備えている。これほどの三才(観察・洞察・表現)を具備した彼が、数十年の経験を紡ぎ出した著作である。面白くないはずがなかろう。

何より、彼は透明で誠実な人間である。その歩んできた生の軌跡が示す通り、彼は適度に保守であり、時に適度に変革(進歩)の傾きを持つ。しかし、その根底には常に、隣人への慈愛と人間性への深い愛が横たわっていることを、読者は本作の随所から看取することができるだろう。「権鎔大」という人間なればこそ可能であった叙述が、ここにはある。それゆえ、語り口は軽やかであっても、そこから立ち上る精神の重量は極めて重厚である。人々が書物から遠ざかるデジタルの時代に、敢えてアナログな「本」という媒体を通して世に問うた、彼の「わたしはどっち?」という一問。その切実な問いに対する答えは、ただ一つに収斂する。
「あなたは、権鎔大です」。

WOW!Korea提供

2026.06.11