韓国で数々の重要な賞を獲得したドラマ『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』。脚本が本当に良かったが、同時にコン・ユの演技がすばらしかったことで傑作の仲間入りを果たした。実際、コン・ユは主人公のキム・シンを縦横無尽に演じ分けた。その多様なキャラクターを分析してみれば?
特異な人物を演じる
私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)がコン・ユの演技を初めて見たのは、韓国で2003年に放送されたドラマ『スクリーン』だった。
このとき、コン・ユは人のいい青年を演じていた。
ドラマ『スクリーン』というと、新人のキム・テヒがいきなり主役で登場した作品。キム・テヒの話題が先行していたが、コン・ユの演技も印象的だった。
特別に個性的な役を演じていたわけではなかったが、俳優としての勘の良さを感じさせて好感が持てた。
あれから10数年。コン・ユは数々のヒット作に主演してトップ俳優として独特の存在感を放っている。今回の『トッケビ』にしても、コン・ユなくしてはありえない企画だったことだろう。
そのコン・ユは、『トッケビ』でキム・シンという特異な人物に扮している。
900年前の高麗の将軍であったキム・シンは、王に裏切られてから命を落としたが、剣が胸に刺さったまま死にきれないで現世までさまよい続けている。
キム・シンは、自分の胸に刺さった剣が見える女性を探して、それを抜いてもらえば安らぎの世界に行ける。
しかし、まだそういう女性に会えなかったので苦しみ続けていた。
そんな不思議な設定のキム・シン。俳優のコン・ユが演じるこの役は、3つのキャラクターに分かれていると思える。
その3つとは?
キャラクターの1つ目。
まずは、ウンタク(キム・ゴウン)の前で冷たい素振りを見せるキム・シンだ。
高校生で不幸な身の上のウンタクを、キム・シンは彼女こそが自分を安らぎの世界に送ってくれる女性だと思ったのだが、そうでないことを悟ってからは冷たく当たるようになる。
それでも、天真爛漫なウンタクの人間性に触れていく中で、キム・シンの心の中に変化が起こってくる。
それにしても、2人は常に対照的な表情を見せる。キム・シンはウンタクに対してそっけない。
しかし、ウンタクはキム・シンを「自分の願いを叶えてくれる男」と思い込んで何かと言い寄ってくる。
そういう歯車が合わない2人の関係を演じるコン・ユは、冷静沈着で理知的だ。
何よりも彼は、感情をグッと抑えた演技を見せている。それによって、キム・シンの切なさがさらに強調されているのだ。このあたりの余韻が残るコン・ユの演技は格別だ。
続いて、キャラクターの2つ目とは?
キム・シンは死神(イ・ドンウク)と同居することになり、気に入らない相手と常にもめている。
死神は死んでいく人を天国と地獄に振り分ける役目を負っているのだが……。
お互いに反目しあうキム・シンと死神。もめるときにキム・シンは自分の感情をありのままに出しきっている。
つまり、彼はウンタクを前にしたときとは別人のように死神の前で喜怒哀楽を存分に見せるのだ。
このときのコン・ユはとても楽しそうに演技している。まさに、地のままで演じられる気分なのだろう。
それは、見ている人にもよく伝わってきて、思わず心がほころんでくる。そういう瞬間が何度もあるから、ドラマを見ていても大いに癒やされるのだ。
キャラクターの3つ目。
王に裏切られて理不尽な宿命を背負ったまま900年間生きているキム・シン。その姿は苦悩そのものだ。そんなキム・シンに扮するのは、俳優として培ってきた演技の見せどころだ。
コン・ユとしても今までの俳優としての経験を十分に生かしている。
以上の3つのキャラクターをコン・ユは巧みに演じ分けている。
それは、地球の引力に耐えることができなくなった枯葉が表と裏を見せてゆっくり落ちていく様子を連想させる。
このあたりがドラマに深遠な世界を持ち込んでいるのだ。
表だけでなく、裏だけでなく、ゆっくりと表と裏を交互に見せていく。
そのことによってドラマは限りない多様性を表現することができている。それを主導しているのが、間違いなくコン・ユの研ぎ澄まされた演技だ。
また、『トッケビ』そのものも、秋の鮮やかな紅葉が背景になっている。
まさに哀愁の世界だ。
ドラマの前半でウンタクと対面するときのキム・シンも、まさに哀愁を漂わせた存在であった。
彼は雨を降らすことも天気を回復させることもできる万能の男。しかし、1人の女性を前にすると、感情だけはどうしてもコントロールできなくなる。
その落差を演じるコン・ユが秀逸だ。
彼は、『トッケビ』のテーマである「生」と「死」が交差する瞬間を哀愁たっぷりに演じきっている。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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