「コラム」韓国の旅/お寺を見てまわる

韓国では、釈迦の誕生日(旧暦の4月8日)は国民の祝日である。仏教の教祖の誕生日が祝日になるくらいだから、韓国の街中にお寺が多いかと思ったら、目立つのは教会ばかりでお寺はほとんど見えない。それはなぜなのか。

写真=植村誠

崇儒抑仏

「あれっ、お寺はどこにあるのかな」
韓国を旅していて、そう思った人はいないだろうか。日本でなら、街の中にお寺がたくさんあるのは見慣れた光景だ。しかし、韓国はそうではない。なぜ、韓国では身近なところにお寺が見えないのか。
朝鮮王朝時代の歴史が関係している。
朝鮮王朝の前の高麗王朝は仏教国家だった。なにしろ、初代王の王建(ワン・ゴン)が遺訓で「仏教を重んじよ」と命じたくらいだ。
おかげで仏教が盛んになったのはいいのだが、寺院が巨大になって力を持ちすぎ、政治に介入したのがいけなかった。
それが、高麗王朝が衰退した原因の1つに挙げられている。
1392年に高麗王朝を滅ぼして建国された朝鮮王朝は、仏教を排斥して儒教を国教にする大転換を行なった。

この政策を「崇儒抑仏」と言う。
朝鮮王朝は儒教の価値観を全土に浸透させた。それとは反対に、仏教を衰退させるために、市中にあった寺院を追放した。仕方がないので、寺院は街を離れて山の中腹などに移らざるをえなくなった。
朝鮮王朝の政策は徹底していた。仏教の僧侶は最下層の身分に落とされ、市中を歩くことも禁止された時期があった。
現在韓国の街に仏教寺院がほとんどないのは、こうした朝鮮王朝時代の「抑仏」の名残なのである。
ただし、仏教を信奉する人は朝鮮王朝時代にも少なくなかった。
特に、王族の女性たちに仏教徒が多く、彼女たちは王宮から出て山の中腹にある寺院によく足を運んでいた。
序列主義を認める儒教と違って、仏教には平等博愛の精神がある。それが、「抑仏」の政策にもかかわらず仏教が韓国で生き残った最大の要因だろう。
今から30年ほど前、韓国に行っても緑茶を飲む人はほとんどいなかった。日本との違いに驚いたものだ。


なぜ、当時の韓国人に緑茶を飲む習慣がなかったのか。

それも朝鮮王朝時代の仏教排斥と関係している。
もともと緑茶は仏教と密接に結びついた飲み物だ。高麗王朝時代には、仏教寺院がたくさんの茶畑を営んで利益をあけでいた。
朝鮮王朝時代になると、政府は仏教を排斥するために緑茶に重税をかけた。それが原因で緑茶の栽培が衰退し、結果的に緑茶を飲む習慣がすたれてしまった。
ただし、果実茶、生姜茶、人参茶は重税から免れた。おかげで、それらのお茶を飲む習慣は残された。緑茶がすたれた分、他のお茶の需要は大いに増したとも言えるだろう。
朝鮮王朝時代に何かと迫害された仏教だが、生き残って今や韓国でも多くの信者を集めている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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