大学路でよく開催されていた野外ライブに歓声をあげる若者たち(2004年撮影)
感情のちょっとした揺れを目や唇の表情だけで描くことが多い韓国のテレビドラマ。何よりも、役者の力量が問われるところだが、その点ではアドバンテージがある。韓国人は「演じること」が肌にしみついた人たちなのである。
サランチケット
あくまでも2003年当時の話だ。
韓国はメンツを重んじる序列社会なので、誰もがその場に合った自分を演じざるをえない。つまり、部長は課長よりも裕福でなければならないし、年上は年下より威厳がなくてはならない。現実的には序列通りにいかないことが多いのだが、少なくとも見た目は上下のけじめをつけようとする。
よく、韓国人は日本人のことを「本音と建前を使い分けすぎる」と批判するが、当の韓国人だって決して本音だけで生きているわけではない。単純な一本調子ではなく、韓国流の建前が存在するのだ。
精一杯に、女であれば美しく、男であれば大きく、年配者であれば重厚に見せ続けなければならない。それだけ演じることに慣れているのだ。
日常生活がそうなのだから、虚構の世界ではもっと演じることが巧みになる。その表れなのか、韓国には演劇・映像を専門に扱う学科が全国の40前後の大学に設置されている。この数にただ驚く。「演じること」が最高学府でこれほど専門的に研究されているのである。
それを裏付けるのが、ソウルの大学路に集結している小劇場である。今は移転してしまったソウル大学がかつてここにあったことが大学路という地名の由来だが、現在は演劇の街としてよく知られている。
実際、この大学路には座席数が40から50くらいの小劇場がたくさんある。テレビドラマで成功した俳優の多くはそういう小劇場で修業を積んで巣立っていく。いわば、実力派俳優の輩出に大きく貢献したのが大学路の小劇場というわけだ。
どの小劇場も経営的に苦しいのだろうが、幸いなのは政府の文化政策による支援を受けられることだ。その端的なものが「サランチケット」である。「サラン」とは「愛」という意味だ。
このチケットは、観客が購入するチケット代金から5000ウォンを公的に援助するものである。たとえば、1万2000ウォン(約1200円)の観劇料であれば、観客は7000ウォンだけ払えば「サランチケット」を購入することができる。半額程度の割引になるので観客の負担が少なくなり、結果的に観客数の増加に結びつくという仕組みになっている。
こうした公的援助の効果は大きい。サランチケットの制度があるからやりくりができている小劇場も多く、韓国の演劇文化の発展に欠かせない制度となっている。こうした舞台で修業した俳優たちがテレビドラマにもどんどん進出しているのだから、演技のレベルが上がるはずである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
韓流20周年の軌跡と奇跡2「韓国での『冬のソナタ』の大ブーム」
コラム提供:ロコレ