ドラマ『二十五、二十一』は、「時代」がキーワードになっていた。IMF経済危機という「時代」によってめぐりあった2人が、次の「時代」に別れざるを得なくなる。人は誰も、「時代」の流れに応じて生きていかなければならない。
愛の絶頂期を迎えた瞬間
テレビ局の社会部記者だったペク・イジン(ナム・ジュヒョク)が「9・11」によってニューヨークに行かざるをえなくなる。これで、彼とナ・ヒド(キム・テリ)の心の距離は一気に遠くなってしまった。
仕方がないことだった。ペク・イジンが自らの仕事に忠実であろうとすればするほど、ナ・ヒドとの関係をこじらせる結果となってしまったのだ。
しかし、修復はできるはずだった。ペク・イジンが韓国に戻ってくれば、再び2人の心の距離は縮まる。
それなのに、ペク・イジンは自らニューヨーク特派員を志願した。記者としての彼の使命感が理由だった。
しかし、ナ・ヒドとの関係修復が不可能になりかねない事態となった。
それがわかっていながら、なぜペク・イジンはあえてニューヨーク特派員を志願したのか。
彼にとっては「究極の二択」だったかもしれない。
仕事を取るか。愛を取るか。
そして、ペク・イジンは仕事を取って愛を置き去りにした。
彼には、家族のためにしなければならないことがあった。父親の破産によって一家がバラバラになった状態を昔に戻すことだった。
それを実現させるためには、「時代」に挑まなければならなかった。自分が新しい「時代」に輝いて一家を呼び戻さなければならなかったのだ。ニューヨーク特派員はそのステップだった。
しかし、結果的にニューヨーク特派員への志願は、ナ・ヒドに別れを決意させた。
ニュースキャスターだった母親は父親の葬儀にも出られなかった。それによって、幼いナ・ヒドがどれほど傷ついたことか。
それを繰り返したくなかった。
さらに、切実な事情があった。フェンシングで金メダルを狙い続けるには、全精力を競技に向けなければならない。ナ・ヒドは、ペク・イジンと離れていた期間、ずっとそのことを考えていたはずだ。その末に決断しなければならなかった。
愛の絶頂期を迎えた瞬間にも、2人には別れざるを得ない理由が忍び寄ってくる。永遠と思ったことは、記憶にも残らなくなってしまうのか。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
その年の夏は私たちのものだった/とてつもない傑作物語『二十五、二十一』8
コラム提供:ロコレ