「未成年裁判」は、キム・ヘスにも変化を与えた。作品を選ぶ時でも自ら青少年犯罪に関心があると思っていたが、直接的・間接的な経験をした後、考えが変わった。自分の関心が少年犯罪や少年法に対して怒り、ある事案に悲しむ感情的な接近だったと認めた。少年法を見つめる目も偏っていたことを反省した。キム・ヘスは「未成年裁判」を見る人たちも自分のような経験をする人がたくさんいると語った。
「私たちの認識が少し変わらなきゃという思いが、一番でした。また関心というものが、日常的に燃え上がって、日常を過ごしながら簡単に忘れていくじゃないですか。その関心を継続的に持っていこうと努力することが必要だと思いました。社会的なシステム、大人たちの役割についても考えるようになりました。判事さんたちの話を聞いてみると、少年犯罪の再犯率が非常に高いけど、子どもだから本当に大きく変わることもあるそうです。それはまさに、少年犯罪の別の面ではないかと思います。社会的な制度やシステムの構築が必要なんです。」
劇中の印象的なセリフの一つとして、キム・ヘスはウンソクの「少年法を嫌悪する」を挙げた。ただキム・ヘスが考えるウンソクは、単純に嫌悪という脈絡そのままの人物ではない。嫌悪していたが責任を持って判決を導き出す人物だ。「今日、判決を少年犯たちに処分を下すが、この処分の重さは保護者が共に感じなければならない」、「今日、判決とは別に、今、私は何人の犠牲を踏みしめてこの場に立っているか」というセリフについても言及した。
キム・ヘスは、「テジュの『少年犯を批判するのは誰でもできることだ。少年犯に機会を与えるのは判事しかできない。それが私の判事になった理由だ』というセリフがあります。実際の裁判官たちはものすごい使命感と責任感を持っていらっしゃる。少年犯を批判するのは多くの人ができる。弁明の余地を与えようとするのではなく、私たちの社会がどのようなことを造成し、大人がどれほど関心や責任を持って子どもたちを導き、その後を考えたか。そういったことを考えさせられるセリフでした。そういったセリフがちょこちょこあります」と説明した。
しかしウンソクは自分が判事で、夫は検事、そして被害者の家族となる。だからキム・ヘスは「もともと、法律がそうなんだ」というセリフに胸を痛めたという。現実において法が持たざるを得ない限界、法を扱う人間だから誰よりもそれを知っている。最善を尽くしたが、そう判決せざるを得なかった事件も存在するため、裁判官としての自己恥辱感もあるという。おかげでキム・ヘスは短い瞬間だが、体と心が極限の状態に置かれる経験をした。
このように「未成年裁判」は、大人と社会の役割について改めて考えさせてくれる作品だ。しかしキム・ヘスは「どんな大人にならなければいけないとは思わない」と言った。長い間演技をしてきて、理想的な大人の役も多く演じてきた。キム・ヘスは「実際の年齢に比べて、大人っぽくない部分が多いです。内的にも外的にも態度や行動を一貫できないときも非常にたくさんあります」と笑みを浮かべた。
「ただ、生きていきながら、目の前に来る人生、関心を持った対象に集中しながら最大限成熟したいと思っています。この年で私はまだそんな段階なんです。」
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