1724年に21代王として即位した英祖(ヨンジョ)は、官僚たちの各派閥から公平に人材を登用する政策を実施して、政権の安定を築いた。このように善政を続けていた英祖だが、長く王の座にいると、様々なほころびが出てくるものである。特に彼を悩ませたのが後継者問題だった。
親子の確執
もともと、英祖の子供は女の子ばかりで、25歳の時に生まれた待望の長男・孝章(ヒョジャン)は、わずか9歳で病死してしまった。男子が生まれないことに苦悩する英祖だったが、1735年、40歳を過ぎてようやく二男の荘献(チャンホン)をさずかることができた。この荘献がイ・ソンのことであり、後に思悼世子(サドセジャ)と呼ばれた。
よほどうれしかったのだろう。英祖はまだ1歳だった二男を早くも世子(セジャ/王の後継ぎ)に指名した。この荘献は10代前半から英祖に代わって政治を取り仕切ることも多かった。
英祖の期待を一身に背負った荘献。しかし、彼の周りには権力を手に入れようとする奸臣が集まり始めた。そういう環境に身を置いた荘献は、次第に政務に身が入らなくなっていき、享楽的な日々を過ごした。
このことは英祖の大きな怒りを買った。
普段は穏やかな英祖。しかし、一度かんしゃくを起こすと手がつけられないという一面を持っていた。
また、荘献を嫌う一派が彼を陥れるために、良からぬ行状を英祖に報告した。こうして荘献の立場は悪くなる一方だった。
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