【時代劇が面白い】知りたい朝鮮王朝14/都を捨てて逃げた宣祖

捕虜となった王子

1592年4月、豊臣軍は上陸と同時に釜山(プサン)に総攻撃をしかけた。必死に抗う王朝軍は、首都に応援を要請するが、知らせが宣祖の耳に届くまで4日以上かかり、その間に釜山は陥落してしまった。
なんの手も打てなかった宣祖は、開戦からしばらくして、首都である漢陽(ハニャン/現在のソウル)を捨てて逃げだした。この時、同行した臣下の中には、彼の主治医である許浚(ホ・ジュン)がいた。
彼は戦線からの逃避中に、傷ついた多くの民を目にした。そして、ほとんどの人が満足な医療を受けられず、助かる命を落としていった。
<この国には満足な医学がない。ならば私が基本になる医学本を作ろう>
固い誓いを立てた許浚は、この時から医学書作りに心血を注いでいく。その末にできたのが著名な「東医宝鑑」だ。
この書の完成は朝鮮王朝の医学を一気に引き上げた。

一方、逃走するしかなかった宣祖が受けた屈辱は大きかった。
「なぜ、みじめに都から逃げなければならなかったのか……」
宣祖はどんどん北の方角に追われた。このように宣祖が逃げている間、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が前線に派遣された。
しかし、臨海君は不覚にも加藤清正の軍勢によって捕虜となってしまう。このことは彼の心を深く傷つけ、後の人生をも大きく狂わせた。

文=「チャレソ」編集部

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2021.11.21