粛宗(スクチョン)と淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の出会いの背景には派閥闘争がからんでいました。当時、政治的に西人(ソイン)派と南人(ナミン)派が激しく争っていました。その中で、西人派は仁顕(イニョン)王后を支持し、南人派は張禧嬪を後ろで支えました。
粛宗の気持ちが急に変化
仁顕王后が追放されたことによって、西人派が没落しかけていました。完全に南人派の天下になってきたのです。そこで、西人派がなんとか起死回生を図ろうとして送り込んできたのが淑嬪・崔氏だったのかも。
粛宗は大変な女好きで知られていました。
おそらく淑嬪・崔氏も相当な美女だったと思われますが、彼女は明確な意図を持って西人派が送ってきたのかもしれません。
張禧嬪はせっかく王妃になったのですが、その途端に粛宗の気持ちは淑嬪・崔氏に移ってしまいました。
その末に、淑嬪・崔氏は1693年秋に男子を出産したのです。粛宗にしてみれば二男にあたるのですが、わずか2カ月ほどで夭逝してしまいました。
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ドラマ『トンイ』は張禧嬪(チャン・ヒビン)の王妃失格をどう描いたか