ついに李适(イ・グァル)が反乱を起こした。漢陽(ハニャン/現在のソウル)に向けて破竹の勢いで進軍する反乱軍に恐れをなした仁祖は、首都を捨てて逃げ出してしまった。反乱軍は進軍開始19日目、たった3回の戦いで、政府軍を撃破して首都を陥落させた。
内乱の終焉
反乱軍が首都を占拠するのは、朝鮮王朝になって初めてのことだった。勝利を確信した李适は、国民たちに新たな王の擁立を宣言した。
「無能な王は、国と民を捨てて逃げ出した。しかし、安心してほしい。興安君(フンアングン/14代王・宣祖〔ソンジョ〕の息子)が新しい王になって、私たちを導いてくださる」
しかし、彼らの漢陽占領は長く続かなかった。。
敗走した政府軍は、再び集まって逆襲の機会をうかがっていたのだ。李适はすぐさま討伐軍を組織するが、簡単に返り討ちにあい、今度は自分が漢陽を捨てて逃走するしかなかった。
勝敗が明らかになると、1624年2月、李适は命を惜しんだ部下に首を刎ねられてしまう。
こうして大規模な反乱は終わったが、王が都を捨てて逃走したという事実は庶民に大きな不満を残した。
1627年、「李适の乱」が平定されて3年が経っても、国内の情勢は不安定だった。そのため、辺境の守備に満足な人員を割くことができず、その隙を狙って後金が朝鮮半島に攻め入ってきた。
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