1506年に即位した中宗(チュンジョン)は端敬(タンギョン)王后を7日間で廃妃(ペビ)にせざるをえなかったが、次に迎えた正室が章敬(チャンギョン)王后だった。彼女が産んだ中宗の長男が仁宗(インジョン)であった。 無慈悲な継母 中宗の治世は38年に及んだ。 歴代の27人の王の中で5番目に長い在位だった…
朝鮮王朝の歴史で注目したいのは、歴代王の即位に至る経緯である。なぜそこにこだわるかといえば、王権の安定に決定的に影響していたからだ。もっとわかりやすくいえば、「正室から生まれたのか、側室から生まれたのか」「長男なのか、二男以下なのか」「生母が生きているのかどうか」「信頼できる側近がいたのか」といった…
美しい容姿と優れた感性によって、男たちを手玉に取った妓生(キーセン)だったファン・ジ二(黄真伊)〔生没年不詳〕。正確な出自はわからないが、幼い頃に父親が家を出ていき、母親1人の手で育てられたというのが通説だ。 多くの男性に愛されたファン・ジニ 母親の英才教育を受けたファン・ジニは、7歳で難しい漢字を…
時代劇『イ・サン』の始まりでは、英祖(ヨンジョ)の息子の思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められている場面が描かれていた。思悼世子の息子のイ・サン(当時10歳で後の22代王・正祖〔チョンジョ〕)は、米びつに近づいてはならないという王命にそむき、危険をかえりみずに父に会いにきていた。 …
粛宗(スクチョン)が即位してから20年が経った1694年3月29日のことだった。当時の有力派閥だった西人派に所属する官吏の金寅(キム・イン)や他の数名が告発書を朝廷に提出した。その内容の一部に粛宗が驚愕した。なんと、「張希載が淑嬪・崔氏を毒殺しようとした」と書かれてあったのだ。 宮中が大騒ぎになった…
傑作時代劇『イ・サン』の主人公になった22代王の正祖(チョンジョ)は、1752年に生まれた。父は思悼世子(サドセジャ)で母は恵慶宮(ヘギョングン)であった。史実の正祖はどんな人生を歩んだのだろうか。 朝鮮王朝後期の名君 ◆1762年、父の思悼世子は祖父の英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められて…
高麗王朝の末期、1335年生まれの李成桂(イ・ソンゲ)は、最上位の将軍にのぼりつめていた。1388年、中国大陸の明(ミン)と高麗との間に領土紛争が起こった。高麗王は重臣たちを集めて善後策を協議した。その結果、李成桂は明への出兵を強く要請された。 4つの理由 李成桂(イ・ソンゲ)は大反対した。 彼は必…
イ・ビョンフン監督の傑作時代劇『トンイ』で、ハン・ヒョジュが演じたトンイは、明るくて純粋な女性として描かれていた。反対に張禧嬪(チャン・ヒビン)は、典型的な悪女になっていた。しかし、それは史実の通りなのだろうか。 40日後の告発 ドラマ『トンイ』の主役だったトンイは淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏のこ…
韓国時代劇をより深く理解するためには、朝鮮王朝時代に社会に広く浸透した儒教を知ることも大切です。そもそも、朝鮮王朝時代にはなぜ儒教が重んじられたのでしょうか。その背景を説明します。 仏教と儒教の違い 1392年に高麗王朝から朝鮮王朝に変わったとき、国政を安定させるために初代王の李成桂(…
『イ・サン』は今も大変な人気を維持している傑作時代劇だが、イ・サンこと正祖(チョンジョ)に5人の女性がからんでくる。その女性たちは、実際にはどんな人物だったのだろうか。改めて取り上げてみよう。 正祖の妻と祖母 まずは、正祖の母親について。それは、恵慶宮(ヘギョングン)である。 21代王…