1545年、12代王・仁宗(インジョン)が亡くなり、異母弟の明宗(ミョンジョン)が即位した。彼の母は、中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后である。彼女が行なった悪政は息子の明宗をとことん苦しめた。 横暴な2人 明宗は、中宗と文定王后を両親にして1534年に生ま…
ソウル中心部にある李舜臣の像 朝鮮王朝は1392年に始まってから、王の後継者をめぐって骨肉の争いがあったとはいえ、対外的に平和な日々を過ごしていました。1592年といえば、創設から200周年で記念すべき年だったのですが、お祭り気分は吹っ飛んで存亡の危機を迎えます。豊臣軍が攻めてきたから…
『オクニョ 運命の女(ひと)』は16世紀中盤の朝鮮王朝を描いた時代劇だった。登場人物の中で実在したのは文定(ムンジョン)王后、尹元衡(ユン・ウォニョン)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、明宗(ミョンジョン)など。この中で明宗を除く3人は歴史上で記録されるほどの悪人だった。 政治腐敗の元凶…
朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)が食べるアワビの焼き物に毒が盛られていることが発覚したのは1646年1月3日のことだった。宮中は大騒ぎになった。それはそうだろう。王の食卓にのぼる料理に毒を盛るというのは、あまりに大胆な手口だった。 昭顕世子に続いて妻までもが…… すぐに犯人さがしが始まった。 「…
朝鮮王朝の518年間の歴史を見ると、悲劇的な死を遂げた世子(セジャ)が3人いる。それが、昭顕(ソヒョン)世子と思悼(サド)世子と孝明(ヒョミョン)世子である。この3人はどのような最期を遂げたのだろうか。彼らの人生を振り返ってみよう 昭顕世子(ソヒョンセジャ) 朝鮮王朝では、世子はおおむね5歳くらいで…
ホ・ジュン(許浚/1546~1625年)は400年近く前に亡くなった名医。彼のおかげでどれだけ多くの人の命が救われたことか。ホ・ジュンが著した『東医宝鑑』は日本や中国だけでなくヨーロッパまで鳴り響いた全25巻の名著であった。 宣祖(ソンジョ)の主治医 『東医宝鑑』に記された医学的知識は現代人も享受し…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 韓国ドラマは映像配信サービスにとっても非常に人気が高いコンテンツになっているが、その中でも『雲が描いた月明り』はよく見られている。特に、週末に家にいるときに見るのにふさわしいのが『雲が描いた月明り』だ。 頭脳明晰な世子 『雲が描いた月明り』といえば…
世子(セジャ)といえば、朝鮮王朝の皇太子である。次の王が約束された身分なのだ。それなのに、その世子の中で外国の人質になった人がいる。それが、16代王・仁祖(インジョ)の長男だった昭顕(ソヒョン)世子である。 清に影響された昭顕世子 朝鮮王朝は清の大軍に攻められて、1637年に屈伏してい…
張禧嬪(チャン・ヒビン)が19代王・粛宗(スクチョン)の側室になったとき、正室は仁顕(イニョン)王后だった。仁顕王后に早く子供ができていれば、王妃としての立場は磐石だったと思われるが、あいにく彼女は病弱で、床に伏す日が多かった。結局、粛宗は張禧嬪のもとに入り浸(びた)りとなった。 王妃への昇格 16…
朝鮮王朝時代に王宮で起こった奇怪な事件として有名な「灼鼠(しゃくそ)の変」。この事件は韓国時代劇でも何度か取り上げられたが、どの作品でも文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が共謀して起こしたという筋書きになっていた。 世子の誕生日の出来事 「灼鼠(しゃくそ)の変」は15…