【時代劇が面白い】重臣に頭の上がらない王/朝鮮王朝の人物と歴史16

朝鮮王朝27人の王の中で最悪の暴君と言われる燕山君(ヨンサングン)は、クーデターに王位を追われて、異母弟の晋城大君(チンソンデグン)が11代王・中宗(チュンジョン)として即位する。しかし、臣下たちに祭り上げられた王は最愛の妻との別れを迎えることになるのだが……。まず、中宗の人物像を見てみよう。

生没年/1488~1544年
父親/9代王・成宗(ソンジョン)
母親/貞顕(チョンヒョン)王后
妻/最初は端敬(タンギョン)王后、二番目は章敬(チャンギョン)王后、三番目は文定(ムンジョン)王后
息子/12代王・仁宗(インジョン)と13代王・明宗(ミョンジョン)

真夜中の襲撃者たち

暴君として知られる10代王・燕山君は、政務を疎(おろそ)かにして、連日のように酒や女に溺れていた。国の財源を使って豪遊する燕山君の暴政は、庶民の生活を圧迫していく。反乱が起こるのも当然だった。
1506年、臣下たちの間で打倒・燕山君を掲げた大規模な反乱が起こるが、やみくもに反乱を起こしては非難される可能性もあった。そこで、反乱軍が掲げた大義名分が燕山君の異母弟である晋城大君を王にするというものだ。もちろん、晋城大君はそのことを一切知らなかった。
事件当日、反乱軍は燕山君を討伐する部隊と晋城大君を保護する部隊の2つに分かれた。何の前触れもなく屋敷を囲む武人たちの姿を見た晋城大君は、兄が自分を殺そうとしていると思ってしまう。
抵抗の無意味さを感じた晋城大君は、せめて自ら命を絶とうとする。晋城大君の命を救ったのが、彼の妻である端敬(タンギョン)王后だ。彼女は一向に攻め入らない武人たちに違和感を覚えたのだ。冷静な妻の判断が、晋城大君の命を救ったのだ。

一方、家の中に招き入れられた兵士たちは、晋城大君に挙兵の説明をする。しかし、しん頑なに即位を拒むのだった。
晋城大君の説得が行なわれる一方で、反乱軍の主力部隊は燕山君の屋敷を襲撃した。普通なら、王を守るために兵士たちは相手を迎え撃つ。しかし、燕山君に仕えていた兵士たちは、王を守ろうとせずに逃げ出してしまった。
クーデターが起きたことを知った燕山君は、怯えはじめる。そんな王の姿を心の中で笑っていた者たちは、外の様子を見に行くと言って逃げてしまう。傍若無人な暴君を命を賭してまで守ろうとする者はいなかったのだ。
こうして、反乱はあっさりと成功。燕山君は王位をはく奪されて地方に追放されてしまう。しかし、問題があった。晋城大君がいまだに即位を拒んでいたのだ。
反乱の功臣たちは晋城大君を王にしようと説得を続けていた。それは徐々に熱を帯びていき、やがて「もはや拒否できない」と感じた彼はようやく11代王・中宗として即位した。このクーデターが「中宗反正(チュンジョンパンジョン)」である。
即位した中宗は、燕山君の暴政で乱れてしまった政治を正そうとした。しかし、臣下たちの手で王に祭り上げられた中宗は、重臣たちに強く意見を言えなかった。その中で問題になったのが、端敬王后の存在だ。実は彼女の父親は、燕山君に仕えた人物だったのだ。

燕山君派の人間を排除してきた重臣たちからすれば、端敬王后の存在は邪魔だった。彼らは、中宗に重臣たちは「端敬王后と離縁してください」と申し出た。これまで、彼らの言いなりになってきた中宗だが、妻と別れることに関してははっきりと反対の意思を示した。しかし、立場の弱い中宗の意見を重臣たちは受け入れなかった。それどころか、離縁しないのならば、端敬王后を処刑するという意見まで上がった。
中宗は端敬王后の身の安全を守るために、結局、離縁するしかなかった。
中宗はその後、新たな正室を迎えるのだが、端敬王后への思いを断ち切ることはできなかった。やがて中宗は、端敬王后への思いが高まると、王宮の一番高いところに上って、彼女の家のほうを見つめるようになった。そんな王の様子は噂となり、端敬王后の耳にも届いた。心動かされた端敬王后は、中宗がすぐに見つけられるようにと、自分が愛用していたチマ(スカート)を岩にかけるようになった。政治によって引き裂かれた2人の夫婦の悲しき愛……。いつしか、端敬王后がチマを置いた岩はチマ岩と呼ばれるようになり、2人の悲恋は、今も「チマ岩の伝説」として語り続かれている。

文=康 大地(コウ ダイチ)

コラム提供:チャレソ
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2021.09.11