【時代劇が面白い】『海神 ヘシン』主人公の張保皐(チャン・ボゴ)とは誰か/古代の英雄6

大出世を果たした男

政変に激怒したのが金祐徴だった。彼は張保皐に憤怒をぶつけた。
「金明は王を殺して自ら王になったが、天が許すはずがない。将軍、兵を貸してほしい。金明に天罰を与えなければならない」
張保皐も意気に感じた。
「古人は『義を見てなさざるは勇なきなり』と言いました。私は凡庸かもしれませんが、命令とあれば従いましょう」
張保皐は金祐徴の意を受けて挙兵した。勇敢な兵士たちによって構成された張保皐軍は連戦連勝で、閔哀王が送ってきた王朝軍を打ち破った。最後に閔哀王は命が惜しくて逃げたが、張保皐軍によって殺された。
839年、今度は金祐徴が45代王の神武王(シンムワン)になった。立役者の張保皐は感義軍使という高官にのぼりつめた。貧しい家柄の男が、これ以上はないという大出世を果たしたのだ。

しかし、張保皐にはさらなる野望があった。その野望は、神武王が即位後わずか7カ月で急死してから大きくふくらんだ。
あまりにめまぐるしく王が代わった。今度は金祐徴の息子が王位に就いて46代の文聖王(ムンソンワン)になった。
張保皐は、自分の娘が文聖王の妻となるように画策した。父の代から張保皐に恩がある文聖王は、その申し出を受け入れた。
しかし、文聖王の側近たちがこぞって大反対した。
「夫婦の道には、おのずから倫理が必要です。国の存亡にかかわることですから、張保皐の娘を王妃に迎えるのはおやめください」
あまりに強硬な反対に、文聖王はあきらめざるをえなかった。このことを恨んだ張保皐は、王朝に対して反旗を翻そうとした。その動きを察知した文聖王は、恩人といえども討たなければならないと覚悟した。
王朝側では張保皐の暗殺を計画した。光州(クァンジュ)の閻長(ヨム・ジャン)という者がひそかに選ばれた。

846年、閻長は国に逆らって追われている身だと装って張保皐に近づいた。張保皐は何も疑わず、豪傑の閻長を丁重に遇した。
二人は意気投合し、よく酒を飲んだ。そんな酒席で、閻長は張保皐が酔ったすきに剣を奪い、有無を言わさず張保皐を斬殺した。
油断が命取りになった。王さえしのぐ力を持った勇者なのに、張保皐は人を信じすぎて命を落とした。その瞬間に、彼の野望は見果てぬ夢で終わった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:チャレソ
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2021.07.24