【時代劇が面白い】利発な貞明公主は才能豊かな女性だった

写真=韓国MBC『華政』公式サイトより

 

貞明公主の父は、14代王・宣祖(ソンジョ)である。彼の最初の正室・懿仁(ウィイン)王后は1600年に亡くなり、仁穆(インモク)王后を継妃として迎えた。その仁穆王后が1603年に産んだのが貞明公主だ。

 

幽閉された2人
宣祖が1608年に世を去ったとき、貞明公主は5歳で弟の永昌(ヨンチャン)大君は2歳だった。
そして、15代王として即位したのが異母兄の光海君(クァンヘグン)である。
光海君は1575年の生まれだ。貞明公主より28歳も上だった。
貞明公主は光海君を慕っていた。しかし、王になったあとの光海君は、以前のように親しみがある兄ではなかった。
結局、光海君と側近たちは永昌大君の命を奪ってしまった。王位の安泰のためとはいえ、それはあまりに非道だった。
さらに、仁穆王后は大妃(テビ/王の母)という資格を剥奪され、貞明公主も王女から庶民に格下げとなった。そのうえ、2人は西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉された。
こんな仕打ちを受けて、仁穆王后と貞明公主が光海君を許せるわけがなかった。

西宮での暮らしはひどかった。
2人は外部との接触を一切禁じられて、家財も没収された。支給される食糧もほんのわずかだった。
まさに、奈落の底に突き落とされる、という表現がピッタリ。
「私はともかく娘だけは……」
それが仁穆王后の率直な気持ちだった。
彼女は娘のためにも、この辛い日々に耐えようとした。いつか監獄のような生活から解放される日を待ち望んで……。
幸いに、貞明公主は利発な娘だった。
彼女は自らの境遇をただ嘆くだけではなく、何かに打ち込むことで、しっかり心の支えにしようとした。
その支えが、貞明公主にとって「書」であった。
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貞明公主はどんな性格の王女だったのか

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2021.04.19