【時代劇が面白い】鄭蘭貞の人生は悪に染まっていた

 

悪の手先となった鄭蘭貞
1544年に中宗が56歳で世を去ったことで、世子である章敬王后の息子が12代王・仁宗(インジョン)として即位した。
しかし、仁宗は即位からわずか8カ月で世を去ってしまう。これは、文定王后が仁宗を毒殺した可能性が高い。その際には、裏で鄭蘭貞が動いたに違いない。
仁宗が亡くなったことで、後を継いだのが文定王后の息子だった。彼は、13代王・明宗(ミョンジョン)となった。

当時の明宗はまだ11歳と幼かったため、王族の最長老女性である文定王后が代理で政治を行ない、自分の一族の者たちに高い官職を与えた。
姉の文定王后のおかげで強い権力を手に入れることができた尹元衡。
一方、現状の妾という立場に満足していなかった鄭蘭貞は、尹元衡の妻を殺害して、自ら尹元衡の新しい妻となった。
ようやく高い地位に上り詰めることができた彼女は、やりたい放題で贅沢して暮らした。

しかし、その生活に終わりを告げる出来事が起きる。
鄭蘭貞と尹元衡の後ろ盾だった文定王后が、1565年に世を去ってしまったのである。
姉の死によって失脚してしまった尹元衡。もちろん、その影響は妻である鄭蘭貞にも降りかかった。2人は、身の危険を感じて都から逃げ出した。
多くの悪事を重ねてきた鄭蘭貞。頂点から一気に転落してしまったことに耐えられなかった彼女は、結局は自決せざるを得なかった。それは尹元衡も同じだった。
悲惨な最期を遂げた2人。悪が滅びる見本のような人生だった。

文=康 大地(コウ ダイチ)

悪の手先だった鄭蘭貞

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コラム提供:チャレソ

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2021.03.30