中宗が即位
大妃の教旨は次のようなものだった。
『わが国家が徳を積むこと100年、深く厚い恩恵が民心を満足させ、万世にわたって繁栄する礎を築いた』
『しかし、不幸にも王が守るべき道理を著しく逸したので、臣たちはみな国家を大事に思い、王の追放を望んだ』
『私が思うに、愚かな先王(燕山君)を廃して明るい晋城大君(チンソンデグン/中宗のこと)を立てるのは、古今に通用する道理だ』
『多くの人間の意見に従い、晋城大君を即位するようにしよう。民の命が消えかけてはまた繋がり、国家が危機から脱して安定する』
多くの官僚たちはひれ伏して命令を聞き、うれしくて踊りだした。新たに王となった中宗が所信を述べた。
『近年、王が道理を失い、民が窮していたのに余は救済できなかった。幸いにも、国家と民に対する重責を担い、大妃の指示によりこのように即位に至った』
官僚たちが万歳を叫んだ。これがまた雷のように大きかった」
以上のように「朝鮮王朝実録」の1506年9月2日の項に記されている。
以後、中宗は1544年に亡くなるまで朝鮮王朝を統治した。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:チャレソ