カトリック教の大弾圧
なにしろ、正祖が何か遺言を残すかもしれません。それを聞いたのが貞純王后だけだと、どのように歪曲されるかわかりません。しかも、貞純王后は正祖にとっては天敵であったわけですから……。
そんな事情もあって、「正祖は貞純王后に毒殺された」という噂が流れました。信憑性はわかりませんが、貞純王后がかなり怪しい動きをしているのは確かで、今でも正祖が毒殺されたという説が歴史に残っています。
実際、正祖が世を去って一番利益を得たのが貞純王后でした。正祖の息子の純祖(スンジョ)が10歳で23代王として即位しましたが、王がまだ若すぎるということで、貞純王后が4年間も代理で政治を仕切りました。
この4年間は朝鮮王朝にとって暗黒でした。
貞純王后は正祖が進めていた改革をすべてつぶしてしまい、彼が登用していた高官を追放しました。
そのうえで、カトリック教の大弾圧を行ない、かなりの信者を虐殺しています。それは、自分に敵対する勢力にカトリック教徒が多かったからです。
貞純王后は、政治の舞台から引退した翌年の1805年に60歳で世を去りました。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
英祖と思悼世子の悲惨な親子関係/朝鮮王朝のよくわかる歴史14