朝鮮王朝が滅亡
1834年、純祖が44歳で亡くなり、孝明(ヒョミョン)世子(純祖の長男で21歳で夭折)の息子が即位した。
それが24代王の憲宗(ホンジョン)である。わずか7歳であったために、純元王后が垂簾聴政を行なった。必然的に、彼女の権力は絶大になった。
1849年に憲宗が22歳で急死した。すると、純元王后は自分の一族の影響力を保持するために、王族ではあったが地方で農業をしていた無学の青年を王位につけた。それが24代の哲宗(チョルチョン)だった。
このように権力者が政治を私物化する中で、朝鮮王朝の治世はひどくなる一方だった。ときはまさに19世紀の激動期。朝鮮王朝は世界の潮流を知らずに近代化が遅れ、全土が混迷をきわめた。これでは国内が安定するわけがない。
外国の干渉を受けて弱体化した朝鮮王朝は、日韓併合にともなって1910年に幕を閉じた。
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