母親と息子の運命
『宮廷女官 チャングムの誓い』の冒頭シーンで元王妃が死罪になる場面が出てくるが、まさにその女性こそが尹氏だった。
しかし、問題は尹氏の死では解決しなかった。なぜなら、彼女の息子が燕山君(ヨンサングン)だったからだ。
成宗が亡くなった後に燕山君が即位し、彼は暴君として悪政を繰り返したが、特に母親の死に関係した官僚たちを大虐殺した。
これは、朝鮮王朝の歴史に残る大惨事であった。
結局、このことで官僚の恨みを買った燕山君は1506年にクーデターで王宮を追われてしまった。
そして、島流しになって、わずか2カ月で絶命した。
母親と息子は、一時は朝鮮王朝で最高の位置にいたのに、共に悲惨な最期を遂げたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
史上最悪の暴君と呼ばれた10代王・燕山君(ヨンサングン)/朝鮮王朝国王列伝10
仁粋(インス)大妃の命を縮めたのが孫の燕山君(ヨンサングン)だった
コラム提供:チャレソ