朝鮮王朝時代の後期になるにつれて、王の子供がどんどん少なくなる傾向があった。27人の王を比較してみると、前半の14代王・宣祖(ソンジョ)までは王の子供が178人いたのに対し、15代王の光海君(クァンヘグン)以降は全部で57人と減っている。
名君は子供が多い
王の子供が少なくなったあおりで、王の遠縁の者まで後継者候補に名を連ねるようになり、跡継ぎ問題は何度も混迷した。それが不安定な治世に結びついてしまったことも否めない。
それでは、なぜ朝鮮王朝時代の後期に王の子供が減ったのか。直接的な理由は、側室が減ったことが影響したと思われる。
実際、朝鮮王朝の前期には王が10人ほどの側室を持つのが当たり前とされた。王家の後継者を増やすために、王が多くの側室を抱えることが奨励されたのである。
その結果、政治的な業績がすぐれた王にかぎって子供の数がとても多いという現象が起きた。たとえば、3代王・太宗(テジョン)は29人、4代王・世宗(セジョン)は22人、9代王・成宗(ソンジョン)は28人という子供をもうけていた。名君の一家は、どこも大変な子だくさんだったのである。
しかし、17世紀以降になると、徐々に様子が変わってくる。特に、儒教の礼論がきびしくなり、王も道徳的な倫理を守ることが求められるようになったのである。
そうした風潮の中で、王が抱える側室はどんどん減っていき、平均して3人ほどになった。当然ながら、王家に誕生する子供の数も減った。
その事実を数字が裏付ける。14代王・宣祖までの時代に王の側室は合計で125人の子供を産んでいるが、15代王以降は29人にすぎない。
これほど、王の子供は激減していたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:チャレソ
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