最後の3人
張禧嬪(チャン・ヒビン/1659年~1701年)
19代王・粛宗(スクチョン)の側室および正室。一介の宮女から粛宗の側室となり、1688年に王子を出産。一度は側室から正室に昇格したが、再び降格。1701年には神堂を建てて王妃を呪い殺そうとしたことが発覚し、死罪となった。朝鮮王朝でもっとも有名な悪役ヒロインで、ドラマや映画に登場する回数は断然の一番だ。
貞純王后(チョンスンワンフ/1745~1805年)
21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻。英祖より年齢が51歳下だった。英祖の息子であった思悼世子(サドセジャ)は10歳上で、相性が悪かったこともあり、思悼世子の失脚に陰で動いた。22代王・正祖(チョンジョ)の時代になって辛うじて罪をのがれたが、1800年に正祖が亡くなったときは毒殺の首謀者と見なされた。23代王・純祖(スンジョ)の後見人となり、キリスト教徒の虐殺事件を起こした。
純元王后(スヌォンワンフ/1789~1821年)
23代王・純祖(スンジョ)の正妻。実家の安東(アンドン)・金(キム)氏が重職を独占する際に重要な役割を果たす。また、25代王・哲宗(チョルチョン)を即位させるために暗躍し、王室の権力をほしいままにした。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ヨブル
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