【時代劇が面白い】コン・ユが『トッケビ』で扮したキム・シンが生きた高麗時代とは?(特別編)

写真=tvN『トッケビ』公式サイトより

 

『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』は設定が奇抜だった。コン・ユが演じた主人公のキム・シンは、胸に剣を刺したまま現代をさまよっている。彼は900年以上も前の高麗(コリョ)時代の将軍だったのだ。

 

高麗は典型的な仏教国家
キム・シンが生まれた高麗時代とは歴史的にどんな時代だったのか。
高麗が建国されたのは918年だ。初代王の王建(ワン・ゴン)は優れた戦略で勢力を伸ばし、ついに936年に朝鮮半島を統一した。首都は朝鮮半島の中央に位置する開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)であった。
そして、王権を磐石なものにするために、王建は子孫が絶対に守るべき10の掟をつくった。それは、「仏教を重んじること」「風水地理を尊重すること」「長男が王位を継承すること」など具体的なことばかりであった。

王建がつくった掟が守られたことで、高麗は典型的な仏教国家になり、僧侶の地位が高くなっていった。
さらに、優秀な人材を官僚に取り立てるために、高麗は中国の王朝にならって科挙の制度を取り入れた。そこまでは良かったのだが、優遇された文官は徐々に貴族化していき、高麗は極端な門閥が幅をきかせるようになってしまった。

そんな高麗にとって常に頭痛の種となっていたのは、北方民族や中国の巨大王朝の存在であった。高麗の前期には、北方に位置する契丹や女真族との争いに神経をすり減らしていたし、中国大陸で蒙古が勢いを得ると、その干渉をしきりに受けるようになった。
ついに、1231年に蒙古の大軍が攻めてきた。

高麗も必死に戦ったが、なにしろ相手は当時世界最強の蒙古である。高麗としてはへりくだって講和を結ぶのが精一杯だった。しかし、領土拡張を国是とする蒙古は講和を破って何度も攻めてきた。
やむなく、1232年、高麗は都を開京から江華島(カンファド)に移した。蒙古は海戦が得意ではなかったので、島に移れば相手も攻めきれないだろうという読みがあったからだ。
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2020.09.08