【時代劇が面白い】女帝の手先として暗躍した鄭蘭貞!(歴史編)

本当に頼もしい手先

ネズミを発見した女官や、発見された場所の近くで働いていた者たちが厳しい尋問を受けたが、誰も口を割らなかった。その最中に中宗の母の貞顕(チョンヒョン)王后が重大な発言をした。
「東宮の犯人はわからないが、大殿の件は敬嬪の仕業に違いない」
王室の最長老が容疑者を特定したのである。
敬嬪・朴氏はまったく身に覚えがなかったが、大妃(王の母)である貞顕王后の発言は重く受け止められた。中宗の取り成しがあったにもかかわらず敬嬪・朴氏は罪をかぶせられ、王宮から追放された。福城君も同じ運命であった。
結果的に「灼鼠の変」によって、一番得をしたのは政敵を追い出すことができた文定王后である。彼女が騒動の首謀者であったことは間違いないし、実行役を担ったのが鄭蘭貞だった。
この鄭蘭貞は、文定王后にとって本当に頼もしい手先だった。「灼鼠の変」を手始めに、鄭蘭貞は文定王后が仕掛けた陰謀を次々に成功させた。その甲斐があって、文定王后は自分の息子を王位につけることができ、その後は女帝のように君臨した。

鄭蘭貞も尹元衡の妾に甘んじるつもりはなかった。彼女は尹元衡の正妻を毒殺し、その後釜に座った。
文定王后の弟として尹元衡は大出世を果たし、鄭蘭貞も妻として優雅な暮らしを享受したが、それはいつまでも続かなかった。
1565年に文定王后が亡くなり、尹元衡と鄭蘭貞は後ろ盾を失った。途端に、それまでの横暴なふるまいが糾弾された。人からさんざん恨みを買っていた2人は結局は逃亡の末に自害せざるえなかった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:チャレソ
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2020.08.28