【時代劇が面白い!】中宗が弱い王だったせいで廃妃となった端敬王后!

燕山君(ヨンサングン)が1506年にクーデターで廃位になったとき、正妻だった慎氏(シンシ)も廃妃となって実家に帰された。彼女の親族も燕山君の外戚として権勢をほしいままにしたが、暴君の没落にともなって悲惨な末路をたどった。

祭り上げられた王

廃妃となった慎氏の兄にあたる慎守勤(シン・スグン)はクーデターの実行時に真っ先に殺害されている。
一方、燕山君の廃位と同時に即位した中宗(チュンジョン)の場合は、彼の正妻である端敬(タンギョン)王后の処遇が問題となった。
なぜならば、彼女は慎守勤の娘だったからだ。
新政権の重臣たちにとって、「新たな王妃は燕山君の正妻の姪、父親は燕山君の側近」ということは見過ごせない重大事だった。
クーデターを成功させた重臣たちは、端敬王后の廃妃を主張した。
だが、中宗は抵抗した。
かつがれて王位に上がっただけでも気が重いのに、さらに愛する妻を離縁することなど到底できない要求だった。
普通なら、王の意思は絶大で、臣下がくつがえせるものではなかった。しかし、中宗の場合は事情が違った。

彼は最終的にクーデターの功臣たちに逆らうことができなかった。そこが、「祭り上げられた王」の弱さでもあった。
中宗は泣く泣く妻を離縁した。
そうせざるをえなかった彼は、「重臣たちに頭が上がらない王」ということを内外に強烈に印象づけてしまった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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