暴君ではなく名君?
光海君を強く恨んだ綾陽君は、1623年にクーデターを起こして光海君を王宮から追放し、16代王・仁祖(インジョ)として即位した。
その後、光海君は流罪に処されて最初に江華島(カンファド)に流され、最終的に済州島(チェジュド)へと流された。彼は、そこで18年の時を過ごして66歳で世を去った。
これだけのことを見ると、光海君は暴君だったと言えるかもしれない。しかし、彼は王として立派な功績を持っている。
たとえば、後金と良好な外交関係を持ったし、内政では減税を実施して庶民の生活を改善させた。これらの功績を見る限り、「光海君は本当は名君だったのではないか」と思われるようになった。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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