【時代劇が面白い】光海君(クァンヘグン)の人生がよくわかるエピソード集(歴史人物編)

南海の孤島に流罪となる
◆王位を安定させるため、光海君の側近たちは、1609年に臨海君を死罪にし、1614年には永昌大君も殺害した。これによって、光海君は大きな恨みを買ってしまった。
◆光海君は政治家として優れた手腕を発揮した。外交面では朝鮮半島の北側で精力を伸ばした後金(後の清)と巧みに交渉を行ない成果を挙げた。内政面では庶民の減税につながる「大同法」という法律を作った。
◆1623年、宣祖の孫であった綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを起こし、光海君は王宮から追放されてしまった。光海君が油断していたことが命取りになった。
◆廃位となった光海君は最初に江華島(カンファド)に流された。一緒に流罪となった息子夫婦は逃亡をはかって死罪となり、妻は悲観して自害した。しかし、光海君は必死に生きようとした。


◆光海君は最終的に、さいはての地とも言える済州島(チェジュド)に流された。それは、かつて国王だった光海君にとって最大の屈辱だった。
◆光海君が済州島で世を去ったのは1641年だ。このとき、光海君は66歳になっていて、廃位になってから18年後だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
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2020.07.29