【時代劇が面白い】明聖(ミョンソン)王后の溺愛!

 

真冬の水浴び
明聖王后の息子への溺愛ぶりは宮中でも有名だった。それだけに、粛宗が原因不明の重病に陥ったとき、明聖王后は取り乱した。
巫女(みこ)を呼んで祈祷をすると、その巫女からこう言われた。
「母の体内にわざわいがあり、それが息子の病の元になっている。わざわいを解くには、水でからだを清めること」

そこまで言われたら、水浴びをしないわけにはいかない。
いや、むしろ、明聖王后は自ら進んで何日も水浴びをした。
しかし、季節は真冬だった。

身が凍るような冷水は明聖王后を極端に衰弱させた。その果てに、彼女は1683年に41歳で亡くなった。
しかし、その死は無駄ではなかった。
(ページ3に続く)

張禧嬪(チャン・ヒビン)こそが朝鮮王朝で一番有名な女性!

トンイはなぜチャン・ヒビンの死後に粛宗から冷遇されたのか

朝鮮王朝の絶世の美女は誰か2「張禧嬪(チャン・ヒビン)」

頂点に君臨する張禧嬪(チャン・ヒビン)/悪女の系譜3

朝鮮王朝三大悪女(張緑水、鄭蘭貞、張禧嬪)の哀れな最期とは?

2020.07.20