女帝のような側室
その後の仁祖の対応もひどかった。
昭顕世子の葬儀を冷遇し、その妻の姜(カン)氏を「王を毒殺しようとした」という嫌疑をかけて死罪にして、世子夫婦の息子3人を島流しにしてしまった。
仁祖はその立場にふさわしい王とは言えなかった。なぜなら、寵愛する側室の言いなりになってしまったからだ。むしろ仁祖の後ろにいた貴人・趙氏こそが、まるで女帝のように強権を保持していた。
しかし、天罰がくだるときがやってきた。
1649年に仁祖が世を去り、二男が17代王・孝宗(ヒョジョン)として即位した。この王位交代によって貴人・趙氏の運命が変わった。
彼女を追い込んだのが呪詛(じゅそ)事件だった。「趙氏が王と私を呪詛している」と告発したのは荘烈王后である。
貴人・趙氏に仕える女官が何人も捕らえられて拷問にかけられたが、そのうちの1人が拷問に堪えきれず自白した。その結果、貴人・趙氏は死罪となった。
結局、貴人・趙氏はいじめ抜いた荘烈王后から最後に奈落の底に突き落とされた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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