【時代劇が面白い】後継ぎなのに国王になれなかった3人の「悲劇の世子」とは?

孝明世子(ヒョミョンセジャ)

3人目は、孝明世子(ヒョミョンセジャ)である。
孝明世子といえば、パク・ボゴムが主演した『雲が描いた月明り』の主人公であったイ・ヨンのモデルとなった人物だ。
1809年に生まれた孝明世子は、頭脳明晰で容姿も端麗だったと言われている。今でいえば、パク・ボゴムのイメージにピッタリだ。
息子の才能を大いに買った父親の23代王・純祖(スンジョ)は、孝明世子が18歳のころから政治を代行させた。
その期待に応えて、孝明世子は人事面で手腕を発揮し、芸術振興や王室の儀式の改善などに力を尽くした。
「国王になればどんな名君になるだろうか」
周囲がそのように期待したが、わずか21歳で血を吐いて急死してしまった。
彼がもし国王になっていれば、朝鮮王朝の停滞した政治を大いに改革して、見事な成果を発揮したはずだ。

しかし、孝明世子の急死によってその後の王位継承は混乱し、朝鮮王朝は衰退せざるを得なかった。孝明世子の死は、朝鮮王朝にとっても本当に痛手だったのである。
こうして見ても、昭顕世子、思悼世子、孝明世子の3人は、朝鮮王朝の歴史の中でも「悲劇の三大世子」と言えるだろう。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:チャレソ
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2020.03.28