「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.112 「世祖の歴史的な評価」

世祖の評価は?

死罪となった端宗の名誉が回復されたのは、死後200年以上が過ぎた19代王・粛宗(スクチョン)の時代だった。
その間、端宗は歴代の王と認められず、罪人扱いを受けていた。「悲劇の端宗」と言わざるをえない。
世祖は自分が王位に就くために、政権内部を血で染めた。どんなに言い訳をしても、彼の行為を正当化することはできないだろう。

しかし、民の側から見れば、世祖はものわかりがいい王だった。民が不満を政府に上訴しやすい制度を整えたことがその典型例である。
また、世祖はあらゆる制度の改革に熱意を燃やし、官制改編、軍備増強、民生安定に力を尽くした。
さらに、朝鮮王朝の基本法典となる「経国大典」の編纂も始めている。
世祖は国王として有能だった。成し遂げた業績も多い。しかし、人間的にはひどすぎる。それによって、韓国では今でも世祖の評判が悪い。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

2020.02.29