「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.110 「米びつ餓死事件の裏話」

閉じ込められて8日目

この時点で思悼世子の生死はどのようになっていたのだろうか。
食料も水も与えられず狭い空間に閉じ込められたままで、まだ生きていたのかどうか。それは誰にもわからないことだった。
結局、思悼世子が米びつの中で息絶えていることがわかったのは、閉じ込められて8日
目だった。

世子ともあろう人が、いつ亡くなったのかも確認できないのである。あまりにむごい死に方だった。
思悼世子が亡くなったという知らせを受けた英祖は、息子を米びつに閉じ込めた張本人でありながら、意外にも深い哀悼の意を表した。
「どうして30年近い父と子の情を感じないでいられるだろうか」
そう述べた英祖は、息子の名誉を回復して、諡(おくりな/死後に贈る尊称)として「思悼世子」を贈ったのである。
この諡は、「世子を思い、その死を悼(いた)む」という意味だが、ここまで追悼するのなら、なぜもっと早く米びつを開けなかったのか。
そのことが惜しまれる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

2020.02.15