朝鮮王朝には兄弟に殺された悲劇の王子が5人もいた!(再読版)

あまりに短い人生

4人目に取り上げるのは臨海君(イメグン)だ。
14代王・宣祖(ソンジョ)の長男である。
16世紀末、豊臣軍との戦乱の中で捕虜になってしまい、解放後にはその屈辱から酒びたりになった。
そうした素行の悪さが原因で、王の後継者になれなかった。
1608年、弟の光海君(クァンヘグン)が即位すると、臨海君は弟を強く批判するようになった。
それによって危険人物と見なされて、1609年に殺されてしまった。
最後は永昌大君(ヨンチャンデグン)だ。
14代王・宣祖(ソンジョ)の嫡男で、母は仁穆(インモク)王后である。
2歳のときに宣祖が亡くなり、王位は異母兄の光海君が継いだ。

結局、宣祖の正室の息子であったことで、宣祖の側室の息子だった光海君によって警戒され、流罪になった末に1614年に殺害されてしまった。
このとき、わずか8歳。あまりに短い人生だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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2019.12.08