「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.99「王妃の悲しき運命」

仁顕王后の廃妃の様子はドラマ『トンイ』でも描かれていた

518年も続いた朝鮮王朝の時代には、王妃は合計で42人もいた。こうした王妃は、「国母」と呼ばれるほど特別な存在だった。それなのに、42人の中で廃妃(ペビ)になった女性が7人もいた。なぜ彼女たちは王宮から追放されたのか。

 

悪法「七去之悪」

王妃になる人たちの多くは、まず世子(セジャ/王の後継者)の妻になっている。これを世子嬪(セジャビン)と言う。
朝鮮王朝では世子が指名されると、できるだけ早く世子嬪を決めるのがならわしだった。その際の選抜行事のことを揀擇(カンテク)と言った。
揀擇はどのように行なわれたか。
まず、全国の上流階級の家庭に結婚禁止令が出る。そのうえで、上流階級の家庭から結婚適齢期の娘の身上書が出された。

そして、書類審査を通った娘は面接審査に臨み、三度の審査を通った1人だけが世子嬪に選ばれた。
こうして世子嬪になって宮中で何も問題を起こさなければ、世子が王になった時点で世子嬪は王妃になる。
しかし、王妃になっても安泰ではなかった。当時の男尊女卑の象徴である七去之悪(チルゴジアク)があったからだ。
この七去之悪とは何か。

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2019.11.30