南海の孤島に流された光海君(クァンヘグン)の屈辱!(再読版)

恋北亭

同じようにクーデターで王宮を追われた王といえば、10代王・燕山君(ヨンサングン)である。
この王の場合は江華島に流されてからわずか2か月で病死している。よほど江華島の水が合わなかったのだろう。
光海君は済州島でも規則正しい生活を続け、この地で1641年に世を去った。享年66歳だった。
当時、陸地と島を結ぶ船が発着した港は、済州島北部の朝天(チョチョン)だった。この朝天には「恋北亭」というあずまやがあって、北の海をよく見わたせる。「北」とはもちろん、都がある方向だった。
王朝内部の政権争いに敗れて済州島に流罪となった高官たちは、恋北亭によくやってきては、北の海を見ながら都にいた時期の栄華を特別になつがしがったという。

光海君も恋北亭にやってきて、北の海を見ては涙を流したのだろうか。
今も恋北亭は残っていて、夏には地元の人たちの夕涼みの場所になっている。

光海君(クァンヘグン)が王になった特殊な理由!

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2019.11.10