懇願する世子
羅景彦は一族の優遇を条件に命を失う役回りをさせられたのかもしれない。いずれにしても、羅景彦の告発は思悼世子にとって大きな痛手となった。
「立ち直ってほしい。息子を信じたい」
英祖にもそういう気持ちがわずかに残っていたのだが、羅景彦の告発以後も思悼世子の乱行を指摘する声が相次いで聞こえてきた。国の将来を心から心配した英祖は、ついに重大な決意を固めて思悼世子を呼び出した。
それは、1762年閏(うるう)5月13日のことだった(閏とは、暦の日数・月数が平年より多いことを指している。陰暦は1年が354日なので、5年に2回ほど1年を13カ月にする必要があった。その追加した月が閏で、1762年には5月の次に閏5月があった)。
おそるおそる英祖の前に出てきた思悼世子が見たのは、刀をふりかざして怒りまくっている父の姿だった。
思悼世子は冠を脱いで庭先でひざまづき、さらに頭を地面にこすりつけた。
「許してください。もう二度と意にそぐわないことはいたしません」
思悼世子はただひたすら反省の意を示した。そんな息子に対して英祖は、たった一つの冷酷な言葉を浴びせた。
「自決せよ。今ここで自決するのだ」
この言葉を聞き、思悼世子は恐怖で真っ青になった。
地面にこすられた額からは血がふきだしていた。その血に驚いた思悼世子は、顔をこわばらせて震えていた。
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