トンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)のライバル物語5「真相は闇」

 

果たして英祖は誰の子?
朝鮮王朝時代に「顔相」という顔の相を見る専門家がいましたが、その専門家が見ても英祖は少しも粛宗に似ていませんでした。それが疑惑の根拠になります。
反乱は鎮圧されて、英祖はその噂を完璧に打ち消すのですが、その過程でかなりの人が処罰されました。
仮に英祖が粛宗の子供でないとすれば、誰の子供なのでしょうか。たとえば、金春沢の子供ではないか、という推理も成り立ちます。もしそうであるならば、朝鮮王朝の王の系統が粛宗までで途切れて、それからは金春沢の血筋になってしまいます。これは恐ろしいことです。

英祖は、自分の母親である淑嬪・崔氏の身分が低かったことに大変コンプレックスを感じていました。彼は父王の粛宗の正室から生まれた子ではないし、自分の母親の出自に不明な点が多いことが悩みの種でした。なおかつ、粛宗の子供ではないという告発で反乱まで起きています。英祖の悩みは深くなるばかりでした。

結局、彼は偏屈な性格になってしまいました。即位から38年後の1762年には自分の息子の荘献(チャンホン)を米びつに閉じ込めて餓死させるという、父親として大変残虐な事件を起こしています。
英祖は、出自の問題で相当悩みが深かったことも事実であり、そうした悩みを通して疑い深い性格になってしまい、息子との不和を引き起こしたのかもしれません。
様々な因果関係がその後もずっと続いていくのが、人間の営みというものかもしれません。
(終わり)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:チャレソ
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