7年間の政治代行
貞熹王后の決定には疑念がもたれた。
そのとき、貞熹王后は51歳だった。夫をけしかけて政変を起こさせたほど勝気な女性は、今や権力に固執する政治的な女性に変貌していた。
彼女が二男を選んだ理由はただ一つ……12歳の少年であれば自分が代理で政治を行なえるからだった。
その少年が9代王の成宗(ソンジョン)だった。
成宗はわずか2カ月で父(懿敬)が他界したため、父の顔を知らずに育った。
不憫(ふびん)に思った貞熹王后は、成宗が小さいときからよく可愛がった。成宗も祖母の貞熹王后によくなついていて、彼女の政治代行を不満もなく受け入れた。
貞熹王后は7年間にわたって政治を仕切ったあと、19歳になって一人前になった成宗に政治を委ね、潔く身を引いた。
晩年は温泉に入ることを楽しみながら過ごした。
亡くなったのは1483年。温泉地を訪ねていた65歳の貞熹王后は現地で息を引き取った。実に静かな終わり方だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ヨブル
http://yoble.jp/