「コラム」6月民主抗争!韓国を劇的に変えた1987年(後編)

 

国民に希望を与える内容
6月26日午後6時からは、在野団体「民主憲法奪取国民運動本部」が主催する国民平和大行進が全国各都市で開催される予定となった。警察はこの大行進を不法デモとして厳重に取り締まる方針を打ち出し、6万人近い戦闘警察を動員して朝から大がかりな検問を実施した。さらに、在野の指導者たちを自宅軟禁する処置に出た。
これに反発した学生たちは全国各地の都市で戦闘警察と激しく衝突。政情がさらに混迷の度合いを深めていく中で、民主党は「現政権を終わらせるために徹底的な闘争を行なう」と、悲壮な覚悟で民主憲法奪取への闘争継続を宣言した。

韓国は、もはや何が起こってもおかしくない状況に追い込まれた。情勢は逼迫するばかりだ。その最後の危機において、劇的な反転があった。
民正党を代表して盧泰愚は1987年6月29日午前に「国民の大団結と偉大な国家への前進のための特別宣言」を発表し、大統領直接選挙制を骨子とした事態収拾案を発表した。
主な内容は次の通りだ。

・与野党の合意のもとで憲法を改正し、大統領直接選挙によって平和的に政権を委譲。
・国民同士が反目する時代を終わらせ、和解と大団結の新時代をつくる。金大中氏の赦免と復権をすぐに行なう。
・基本的人権を尊重し、言論の自由を保証。社会の全分野で自治と自立を確立する。
ここまで与党が譲歩するようになったのも、国民の根強い抗議行動があったからだ。さらに、翌年秋にソウル五輪を控えていたことも見逃せない。盧泰愚は談話をこうしめくくっている。

「オリンピックまでわずかしか残っていない現時点で、国論が分裂して韓国が世界から辱めを受けるようなことがあっては断じてならない」
この盧泰愚の譲歩案を金泳三も最大限に評価し、「国民に希望を与える内容だ」として全面的に歓迎する意向を示した。
ただし、その譲歩案を全斗煥が受け入れるかどうかは微妙な情勢だった。
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2019.06.10