陰の女帝
明宗はまだ11歳という未成年だったので、王族最長老であった文定王后が代理で政治を行なった。
そのとき、文定王后は何をしたのか。
あるいは、何をしなかったのか。
文定王后が代理で政治を仕切っていたとき、朝鮮半島では長い凶作が続き、餓死する人が多かった。しかし、文定王后は政治の責任者でありながら、何の手も打たずに民を見殺しにした。
実際に、何万人も餓死している。それなのに、文定王后は自分の一族で利権を独占して、政治が腐敗した。
自分の私利私欲で政治を牛耳ったという意味で、文定王后ほどひどい統治者はいなかったと言える。
なお、文定王后は熱心な仏教徒だった。当時の朝鮮王朝は儒教を崇拝して仏教を迫害していた。つまり、文定王后は国の教えに逆らって仏教を信奉していたことになる。
そればかりか、怪しげな僧侶と男女関係にあったと言われている。倫理的にも問題が多い「陰の女帝」であった。
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悪の手先だった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)/朝鮮王朝人物実録7