「コラム」光海君(クァンヘグン)は兄弟同士の争いを経て国王になった!

 

わずか2歳では国王になれない
宣祖としても、側室が産んだ王子よりも正室が産んだ王子を後継者に指名したいという欲があった。
実際、彼はその意向を側近に伝えている。
宣祖がもっと長生きしていれば、次の王には永昌大君が選ばれていたはずだ。しかし、宣祖は1608年に亡くなってしまった。

そのとき、永昌大君はわずか2歳。いくら嫡子とはいえ、満足に言葉もしゃべれない2歳で王になるのは無理だ。
そんな事情があって、光海君が宣祖の後を継いで15代王になった。
彼の統治は1623年までだった。仁祖(インジョ)が起こしたクーデターで王宮を追放されてしまったからだ。
1608年から1623年までの15年間、政治だけに焦点を当てると、光海君は名君にも匹敵する手腕を発揮している。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:ヨブル
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光海君について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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2018.12.07