「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.47「新大久保の発展」

共生の町へ

時代も新大久保を後押しした。
2002年に日韓共催のサッカー・ワールドカップが開かれ、日本の中で韓国の情緒を味わえる街として職安通りの界隈はマスコミで大きく取り上げられた。さらに、「冬のソナタ」の大ヒットを契機に韓流ブームが起こり、韓国ドラマ関連のグッズを販売する店に多くの韓流ファンが訪れた。一度、街の名前が知れ渡ると、次々と相乗効果が生まれて街が活性化されていく。
そして今度は、JRの駅により近い大久保通りのほうが賑やかになった。
しかし、街には歴史があり、そこに住んでいる人たちがいる。

新大久保で幅広く事業をしている韓国人が私にこう言った。
「この地域は、江戸時代に鉄砲100人隊が住んでいて、サムライの町だったんです。そういう伝統がある町に急に韓国人が多く住むようになった。言葉がわからず生活習慣も違うから、もともと住んでいる人にとっては不便になるでしょう。そういう意味でも、共生の町にしたいのです。しかし、外部の人たちは地域住民の方々をほとんど無視しているんですよ。自分が見たいものしか見ませんから……」
この言葉を胸に刻みたい。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

2018.12.01