「コラム」康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.47「新大久保の発展」

東京の交通網の大動脈になっているJR山手線。この重要な路線で新宿駅のとなりに位置しているのが新大久保駅だ。この駅の周辺は、いつからネオン輝く賑やかなコリアンタウンに大変貌したのか。その背景を見てみよう。

韓国スーパーの誕生

もともと大久保通りと職安通りの間の地域は、アジア系の留学生が多く住んでいた。大繁華街の新宿から近いわりに部屋代が安かったからだ。しかも、新大久保駅の近くに日本語学校ができ、外国人が集まる下地が整っていた。
また、職安通りには1980年代に韓国系の教会があった。今のドン・キホーテがある場所だ。
そこに集まる人たちを対象にした韓国食堂も増え始めた。その流れを加速させたのが、韓国料理に必要な食材や食品を扱う大型スーパーが1990年代に誕生したことだ。
異国で不自由していた人たちにとって、故郷の味をそっくり再現できるのは本当にありがたかった。

そのスーパーが開店したあと、たった1年間で韓国系の飲食店が60カ所もできたという。おそるべき増加ぶりだ。
異国に住む場合は同胞同士が固まって住むことが多いが、特に共同体意識が強い韓国人はその傾向が顕著だ。ある人は先に日本に行っている知り合いを頼り、ある人は先に日本で基盤を作って同郷の仲間を呼び寄せる……その繰り返しの中で、職安通りに韓国人が増えていった。
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2018.12.01