息子の命を縮めたかも
仁宗は即位してわずか8カ月で病に倒れた。一説によると、文定王后が差し出した餅を食べたことが原因だという。普通なら、自分を殺そうとしている人間が持ってくる食べ物を警戒するものだが、仁宗は継母の土産を喜んで口に運んだ。あまりに善人すぎて命を縮めた感も否めない。
1545年、仁宗が若くして亡くなり、慶源大君が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。
このとき、明宗はわずか11歳であった。政治を動かせる年齢ではない。必然的に、文定王后が政治を代行することになった。
そして、文定王后は政治的にわがまま放題にふるまい私腹を肥やした。また、政敵を陥れるために手段を選ばず、恐怖政治で宮中を取り仕切った。
それが明宗をどれほど悩ませたことか。
彼が「涙の王」と称されるのは、母の一派(弟の尹元衡〔ユン・ウォニョン〕や手先の鄭蘭貞〔チョン・ナンジョン〕)が横暴にふるまう度に涙を流さざるをえなかったからだ。やがて心労が重なって病気がちになった。
文定王后は権勢を保ったまま1565年に64歳で世を去った。明宗も母の死から2年後に33歳で亡くなった。
息子の命を縮めたかもしれない文定王后。罪な母親であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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