粛宗の言葉
粛宗は張禧嬪を糾弾したが、張禧嬪は「息子の身体が弱いので、強くなるように祈祷をしていた」と弁明した。
実際に埋めた呪詛物が出てきたが、それを張禧嬪が埋めたという確証はなかった。他の第三者が埋めたということもありうる話だったのである。
2日後、粛宗は「張禧嬪を自害させよ」という命令を出した。1701年10月8日の「朝鮮王朝実録」に粛宗の言葉が載っている。
「禧嬪・張氏が内殿を嫉妬し、恨み、密かに陰謀を図り、宮殿の中や外に神堂を設置して、日夜祈願をしながら凶悪で不潔なものを埋めた。それは、実に狼藉なことで、その状況がすべて明らかになり、憤慨するところである」
「これをそのまま放置すれば、後日に国家の懸念となる。前代の歴史において、類がないほど恐ろしいことではないか。余は今、宗社(国と朝廷)や世子のため、このようにやむを得ないことをするのだが、それが楽しいはずがなかろう。張氏は備忘記によって自害することを命じる」(ページ3に続く)
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