引き続き「日本エンターテインメント文化も違い、日本の人々自体もとても違います。近いけど遠い国ということを実感しました。カン・ジヨンが日本に行って活動するというのが韓国でもイシューになったが、日本でもたくさんのイシューになりました。KARAが本当に愛されていたためです」として、「韓国の人がなぜ日本のドラマに出てくるのという話もたくさん聞きました。とても自信がなくなりました。これをするのが正しいか、人々がどのように見てくれるのか分かりませんでした。歓迎してくれると思ったのに孤独でした」と話した。
カン・ジヨンは活動序盤、ドラマ「地獄先生ぬ~べ~」、映画「暗殺教室」など人気アニメーションを実態化した作品にひきつづき出演して俳優の基盤を磨き上げた。カン・ジヨンは「初めて日本で出演したドラマが日本で本当に有名な原作をドラマにした作品でした。そこで最も有名なキャラクターをよりにもよって演じることになり、原作のファンたちにあれこれといろいろ言われました。韓国は漫画を原作にする作品がたくさんありませんが、日本ではそんな作品が多くて葛藤が多かったです」と告白した。
最も苦労したのが言葉だったというカン・ジヨンは「セリフを練習する時も、何時間も台本をもって日本語の先生と抑揚チェックをしました。抑揚が違うのでできるまで続けてしました」として「初めはずっと違うというので結局私が泣いたりしました」。
引き続き「しきりに違うと言われるから、泣きながら演技した記憶があります。私に限界を感じました。私がすることができる最善を尽くしているのに、ずっと違うと言われるので葛藤も大きかったです。わざと韓国にも来ませんでした。日本語になじむようになるためにずっと日本にいて、韓国に行けば気が弱くなるかと思って、わざと来ませんでした。この頃は気楽になって、行ったり来たりします」と付け加えた。