武人政権が誕生
王建がつくった掟が守られたことで、高麗は典型的な仏教国家になり、僧侶の地位が高くなっていった。
さらに、優秀な人材を官僚に取り立てるために、高麗は中国の王朝にならって科挙の制度を取り入れた。そこまでは良かったのだが、優遇された文官は徐々に貴族化していき、高麗は極端な門閥が幅をきかせるようになってしまった。
しかも、軍事力を持った武人の地位は文官より低く、武人の不満が次第に大きくなっていった。
1170年、武人たちはクーデターを起こし、文官を追放して、自分たちの意のままになる明宗(ミョンジョン)を即位させた。
明宗は第19代の高麗王として1197年まで在位したが、実権は武人側にあり、ここに朝鮮半島では珍しい武人政権が続いたのである。
とはいえ、武人が司る政治はまとまりを欠いた。
有力な武人が自分の勢力拡大をはかり、私兵を強化して争いを起こし、国内はなかなか平穏を取り戻せなかった。(ページ3に続く)