当初4ヶ月の契約で3年活動(1年に6ヶ月ずつ)を提案したのもそのためだった。TOP9の活動の成功と海外公演などのために着実に準備する時間が必要だったと判断した。4ヶ月の断片的な活動よりは、ゆっくりと確実に成長するチームを作りたかったからだ。長期的なプランで何回も協議を経て、結局合計7回にわたる論議の結果、6つの企画事務所の意見が合わなくて、デビューが失敗に終わった。6つ全部がデビューのために最善の議論を進めたが、次の機会になった。
YG側はこれに対して「約束された4ヶ月は新曲準備とミュージックビデオの撮影、振りつけの練習をするにも大変だという考えと、単独公演をするためには最小15曲以上の曲がなければならないのに約束された4ヶ月中にこれらすべてを成し遂げるのは不可能だったためだ。1次の提案を通じて各事務所の意見を総合してみた結果、6ヶ月という期間は負担になるということが過半数の企画事務所の立場だった」と明らかにした。
また「ヤン代表もやはりその立場と意見を十分に理解し、2次提案では半分の1年に3ヶ月、準備期間1カ月に活動期間2カ月を提案することになった。だが惜しくも先週に行われた最後の団体会議ですべての代表の同意を得ることを失敗した」と説明した。
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