朝鮮王朝社会の名残
要するに、ささいなことで、もめているのだ。なにしろ、自分が思っていることを明確に言わなければ大変なストレスになるという国民性。小さいことでも意見が違えば、自分の主張を通さなければならない。
そこに、対立の芽が生まれる。
日本から見れば、「なんともやっかいなこと」と思われるかもしれないが、韓国的に言うと、決してやっかいではない。「対立こそが生きている証」なのである。
1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝は様々な分野で現代韓国にも影響を及ぼしている。
対立の多さも、朝鮮王朝社会の名残である。
たとえば、朝鮮王朝の官僚たちは、党派を作って常に激しく論争していた。この場合の論争の根源は、朝鮮王朝の国教であった儒教(特に朱子学)をめぐる解釈の違いだった。それぞれが違う解釈を持ち出して党派の対立が激化するというのが、朝鮮王朝の政治の常態であった。
その風潮は今の韓国にも残っている。(ページ3に続く)